
サクリファイス
1986/フランス=スウェーデン 監督、脚本:アンドレイ・タルコフスキー
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それを観るまで、映画を観る意味を考えたことはなかった。
学校の課題で映画を観たり、劇場用アニメを観に行ったりした程度の私が、ふとしたきっかけで、聞いたことのない映画監督の映画を観に行った。縁とは不思議なもの。
この映画を観なかったら、『映画』と言うジャンルにここまでのめり込まなかっただろう。同時に、それまで観ていた映画は、『映画』と呼ぶに値するものだったのだろうかと思ったほどの衝撃だった。
初見の私に、その映画は決して親切ではなかった。「分かりやすく」や「説明的」な観客への配慮シーンは無く、ただただ監督の『俺様世界』が緩やかに流れる。しかし、その映像のなんと雄弁なこと! どのシーンも無駄が無く、文字通り、監督が自らの魂を削り籠めたかのよう。
驚きだったのが、流れる映像から、寒さを実感できた、ということ。静寂の中、濡れた大地を延々と撮るシーンを観ているうちに「ロシアの寒さって、みぞれが降った朝のように、湿気たように冷えるのかな」と、ぞくぞくしたのだ。小説の表現でよく書かれるものだが、まさか映画で、本当にそんな体験ができるとは思わなかった。
映像本来の持つ力と、それを引き出す監督やカメラマンの技量に、文字通り圧倒。映像のもたらす恍惚感に溺れることは、とても気持ちの良いことだと理解し、「映像が囀るように語る映画もあるのだ」と思った。そして、理解できないものを、理解できないまま受け止めることは、決して悪いことではないのだと学んだ。自分の狭量な見識に、無理矢理押し込めることは罪であることも。
未だ言葉に出来ないものが蠢いて、時折心の奥底から浮かび上がっては問いかける。その問いかけに答えられない自分がいる。もう少し、時間が必要だろう。ただ、これだけは言える。魔女との取引で得た価値を理解できるのは、アレクサンデルだけだと。
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